レビ記第25章39節~46節 (旧204頁) エフェソの信徒への手紙第6章5節~9節 (新359頁)
「キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい」というパウロの言葉について考えてみましょう。この箇所では、パウロが奴隷と主人、そして信仰について語っていますが、古代の教会に奴隷がいたことから、教会は奴隷制度を認めていたのかと疑問を持たれる方もいるかもしれません。しかし、パウロが伝えたかったのは社会の仕組みを否定することではなく、その中でどう信仰を保つか、ということでした。 当時、奴隷には自由がなく、主人に従うのは当然のことでした。それでもパウロは「キリストに従うように」とあえて勧めています。キリストに従う信仰者としての「自由」があるのだ、とパウロは言います。キリスト者には、自らの意志で喜んで従う自由があるのです。誰にも奪えない心の自由、信仰による自由があるのです。私たちは古代の奴隷制とは異なる社会に生きているものの、不自由を感じる状況はたくさんあります。仕事や家庭、人間関係の中で自分を縛るものがあり、まるで自分が何かに囚われているように感じることもあるでしょう。しかし、どのような状況にあっても、私たちはキリストの僕としての自由を持っています。他者の目や評価に縛られないことです。喜びをもって人に仕えることで、キリストの僕であることを証しするのです。 パウロは同時に、主人たちにも同じように勧めています。すべての人に同じ天の主人がいるからです。支配する者もされる者も同じく一人の人間であり、神の前で罪赦された存在です。この世の仕組みを超えて、天の主に結ばれた者同士として、どう生きるかが問われているのです。信仰によって、私たちはキリストの僕として日々の務めに励むよう遣わされています。そして、どんなに小さな行いも神は見ておられ、報いてくださいます。キリストに仕える者として、皆さん一人ひとりの生活が主に喜ばれるものであるよう祈ります。