詩編第23篇1節~6節 (旧854頁) ヨハネによる福音書第10章11節~18節 (新186頁)
「わたしには何も欠けることがない。」と言えるのは、彼が信仰者として自分自身に根拠をもつ自信があったわけではありません。自分が完璧な人間だと思っているわけではありません。どれほど未熟で、欠点だらけの人間であろうとも、神さまによって養われ、必要を満たされているから満ち足りているのです。羊は非常に臆病な動物で、単独ではなく群れで行動します。道に迷いやすく、一匹が動き出すとみんなそれについて行ってしまうのです。おまけに、自分ではエサや飲み水を見つけることができません。獣から身を守るすべなど持っていませんし、羊飼いに頼らなくては生きていけないのです。 わたしたちは神さまの群れである教会に呼び集められ、み言葉と祈りの内に神さまとの交わりを得て、励ましと慰めを受け、癒され、御許に憩うのです。疲れ果てた身も心も休息をいただいて、新しい一週間の歩みに向けて回復させていただくのです。羊飼いである神さまは羊飼いと同じ、正しい道を歩むことができるようにわたしたちを導いてくださるのです。 神さまはわたしたちの想像をはるかに超えた仕方でわたしたちの救いをそなえてくださるのです。わたしたちが受け入れたくない人やことを取り除くことではなく、苦しみの現実のただ中にあっても立ち上がる力を与えてくださるというのです。わたしを脅かす存在から守り、食卓を整えて招いてくださり、癒し、慰めてくださるのです。安らげる場所、命の糧を求めて草原をさまよっていた羊は、情け深い羊飼いに導かれて、永遠の住まい、帰るべき家を与えられたのです。主の家にわたしたちの帰る場所があります。わたしたちを迎えてくれる食卓があります。わたしたちは今、地上で礼拝という形で主の家に招かれ、聖餐という食卓に招かれています。同じように、召された方々も主の家にいて、同じ主の食卓を囲み、同じ恵みに与っておられます。