詩編第51篇12節~14節(旧885頁)
エフェソの信徒への手紙第4章11節~13節(新356頁)
教会にも目標があります。一つ一つの教会の目標ではなくて、キリス
トの教会、つまり、世界の教会の共通の目標です。それは、13 節「わた
したちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成
熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長す
る」ことです。教会はキリストの体と呼ばれます。イエス・キリストを
頭とする一つの身体です。その体が、キリストの背丈、身長と同じにな
ることが教会の目標なのです。キリストの豊かさと全く同じになる。別
の言い方をすれば、キリストの似姿になるということです。
クリスチャン、キリスト者は、キリストに属する者です。キリストに捉
えられた群れです。キリストを頭として、キリストに従う群れです。キ
リストの群れは、この世に主の栄光を証しします。つまり、神さまが生
きてわたしたちと共にいてくださることを、この世に現わすということ
です。神さまの豊かさ、愛の深さを現わす交わりが教会です。
本来、神さまにかたどって造られた人間が、罪のために、神さまの形
を失って、神さまから遠い存在になってしまいました。だからイエスさ
まは、神の御子、つまりは神と等しい方、神とともに世界を治める方で
ありながら、地上に降り、私たちと同じ肉の体をもって地上の生涯を歩
まれました。そして、十字架におかかりになり、すべての人の罪の贖い
のために十字架におかかりになり、死んで三日目に復活し、天に昇られ
ました。そして、罪のために、死んで滅びるはずの私たちに、聖霊によ
って復活のキリストと同じ永遠の命を与えてくださったのです。
信仰の体験も、奉仕の業も、その為に与えられている賜物も一人一人
違っています。違っていながら、私たちは同じ目標に向けて、礼拝の度
毎に整えられているのです。御言葉の養いによって整えられて、それか
ら奉仕へと遣わされるのです。それぞれの奉仕を通して互いに愛し合
い、祈り合い、支え合い、補い合う群れ。それが教会です。