申命記第6章4節~9節(旧291頁)
エフェソの信徒への手紙第4章3節~6節(新356頁)
「一致」とか、「一つ」「一人」という言葉が繰り返されています。どう
して、繰り返し繰り返し、一致が呼びかけられているのか。一致できな
い現実があるからです。わたしたちが一致できないのは、一人一人異な
った性格、性別、社会的立場、生まれだからでしょうか。それも要因と
して考えることができるでしょう。
けれども、根本的な問題はわたしたち一人一人の違いとは別にありま
す。それは罪です。罪は神さまとわたしたちを引き離します。
神さまの前に以降存在であった人間は罪によって神さまから離れ、愛の
交わりからも離れる存在となったのです。唯一の神によって造られ、命
を与えられ、唯一の神を頼りに生きていたのに、神さまから離れて自分
を頼りにして、自分を神さまの位置に置き換えて自分勝手に生きるよう
になったのです。パウロが手紙を書き送った教会の人たちも、大きな違
いをもっていました。エフェソの教会においては特に、ユダヤ人とギリ
シア人との対立が顕著に表れていたようです。
ある神学者はこのように言いました。
「教会の共同体としての一致は 目指す理想 目標ではなく、 教会の会
員が態度や言動を常に一致させなければならない 基準である」(カイル
ド) 主の体である教会は、その頭である主イエス・キリストの思いを我
が思いとします。
キリストの身体であり、その体を形づくっている一人一人にも一つの
霊、聖霊が与えられています。しかし、それはそれぞれ異なった聖霊で
はありません。同じ一つの霊なのです。
一人一人に与えられていながら、同じ聖霊が宿ってくださっているので
す。聖霊はわたしたちの思いを、眼差しを、キリストに向かわせ、キリ
ストと共に父なる神を仰ぐのです。聖霊はわたしたちを一つの希望へ
と、主による罪の赦しとよみがえりの命の希望へと向かわせます。