出エジプト記第33章18節~19節(旧150頁)
エフェソの信徒への手紙第4章7節~10節(新356頁)
パウロはずっと、この手紙で「教会とは何か」というテーマで話をし
てきました。教会としての姿を見失っている人たちに、問題提起として
問い続けてきたのです。なるべくトラブルなんて起きてほしくない、問
題が起きたら面倒だから平穏無事にすごしたいと思うのが普通です。し
かし、信仰者になったからと言って、あらゆる禍、あらゆる不幸、あら
ゆる困難を免れるようになるわけではありません。それは教会の中だろ
うと、外だろうと変わりません。洗礼を受けて信仰者になったからとい
って、人生の一切の災難を回避できるフリーパスを貰えるわけではない
のです。大人でも、子どもでもそれぞれに不安や重荷を抱えています。
しかし、どんな試練の中でもキリスト者は「恵み」の中に生かされて
います。困難な状況の時こそ、キリストを通して神さまがわたしたちに
与えてくださっている恵みを見失うことが無いように、暗闇の中でもわ
たしたちを命へと導く希望の光に目を向け、光を目指して歩みを確かに
したいと願います。わたしたちを生かしている希望こそが、わたしたち
一人一人を教会に集め、わたしたちを主に在る一致へと召してくれるか
らです。
教会の中でも外でも、人前に立つ人、目につきやすい役割の人が注目
されがちですが、恵みは特定の役割を担う人にだけ与えられているので
はありません。誰もが恵みをいただいています。誰もがキリストの体を
つくり上げるための特別な使命に召されているのです。だから、教会の
中に恵みをいただいていない人など一人もいないのです。誰一人欠ける
ことのない存在として、キリストの体の必要な部分として召されていま
す。キリストによって、キリストと共にあって、キリストの内にあって、
わたしたちは深く満たされています。際限のないキリストの量りで、量
り与えられている恵みです。キリストの充満する命、人生がわたしたち
の人生を充足させ、平安で満たしてくださいます。