詩編第118篇22節~29節 (旧958頁) エフェソの信徒への手紙第2章19節~22節 (新354頁)
外国人も、寄留者も、別の場所に故郷を持っている人です。パウロは単に、故郷の異なる人として「外国人でも寄留者でも」といっているのではありません。「あなたがはかつて、帰るべき場所を探し求めていた。拠り所が無く、根無し草のようにこの世をさまよっていた。でも今は、わたしたち(ユダヤ人)と同じ聖なる民に属する神の家族だ」と語っています。初代教会の信徒は皆ユダヤ人でした。イエスさまも、イエスさまの福音を伝えた弟子たちも皆ユダヤ人でした。しかしやがて、福音は広く小アジアへ、異邦人へと伝えられました。聖書の神はユダヤ人だけの神だと考えられていたのに、神の御子はすべての人の救いのために十字架にかかり、罪を滅ぼされたのです。御子によって、新しい神の民として、すべての人が神の家族として招かれ、教会が誕生したのです。 神を父と呼ぶ家族です。キリストの十字架は罪の結果である死を打ち破り、神と人との隔たりを壊し、ユダヤ人と異邦人の隔たりを取り去ってくださいました。わたしたちは自分たちの内側から出るものによっては一致できません。しかし、外側から、神の側から与えられるものによって、信仰によって、聖霊によって一つとなることが出来るのです。わたしたちは、日曜日ごとの礼拝でそのことを目の当たりにし、体験することが出来ます。 神の家族は、神が生きておられることを表す交わりであり、教会です。だから、教会は「使徒や預言者が伝えてきた信仰の上に、キリストをかなめ石として建てられる神殿」と呼ばれるのです。この教会は建物のことではありませんから、人間の力で建て上げることはできません。キリストというかなめ石を失ったら崩れ落ちてしまします。キリストによって石として切り出され、研磨され、組み合わせられて堅牢な神殿としていただくのです。神さまのご臨在を証しする教会として成長していく働きに、共に仕えることが神の家族の使命です。