横浜中田教会 説教要旨 2024年5月26日

イザヤ書5714~21(1155)

エフェソの信徒への手紙27~10節 (353)

 

神さまの憐れみと慈しみによって救いの賜物、救いの贈り物が与えられたのです。恵は、無償で、ただで与えられます。神様の救いという恵みを一方的に私たちにくださって、何の見返りも求めないのです。

 残念ながら、救いの根拠は人間にはありません。救われたのは、立派な行いをしたからでも、偉業を成し遂げたからでも、熱心に救いを願ったからでも、救いに対する価値があったからでもありません。救いの業に対して、人間は何の関与も、手伝いもできないのです。救いはただ、一方的に神さまの憐れみによって差し出された贈り物です。わたしたちにできることは、ただそれを受け取ることだけなのです。いただいた恵みを受け取ることが信仰です。

 「なぜなら、私たちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(2:10)

「神に造られたもの」は、被造物、すなわち、神の作品ということです。

わたしたちは、神の作品なのです。神さまが最初に人をお造りになった時、人は神さまとの豊かな愛の交わりの中で生きる存在として造られました。人が造られた目的は「善い業」をなすためだったと、今日の御言葉に記されています。

 

洗礼によってキリストに結ばれて、日々新しい命を生き、自分中心の人生から、キリストについて行く人生へと歩み出したのです。まだ、その一歩を踏み出していない人も、既に歩み始めた人も、今立ち止まっている人も、いつ、新たな道へ遣わされるのか、神さまのご計画を期待しながら、いつでも遣わされることができるように備えて祈りましょう。