横浜中田教会 説教要旨 2024年5月19日

創世記第11章1節~9節 (旧13頁) 使徒言行録第2章1節~13節 (新214頁)

ペンテコステ(五旬祭)は元々ユダヤの収穫祭でした。過越祭から50日目のお祭りです。イエスさまが十字架におかかりになったのも過越祭の時でした。それから50日目が、ちょうど五旬祭の日だったのです。そのため、今日、ペンテコステは教会の祝祭日として、イースター、クリスマスに並んで大切にされています。 五旬祭で賑わう中、使徒を中心とするイエスさまの弟子たちは一つになって、昇天されたイエスさまの言葉を思い起こしながら祈りを合わせていました。約束の実現を今か今かと待っていたのです。そこに突然、突風が吹き荒れるような音が天から聞こえて来たのです。それは、聖霊が下ってきたしるしでした。さらに、目に見えるしるしとして、炎のような舌が一人一人の上に現れて、皆、霊の語らせるままに異なる言葉で話し出したのです。 イエスさまが約束された聖霊の力は、病人の癒しや悪霊の追い出しのような奇跡の力ではありませんでした。新しい言葉、世界に向かって福音を告げ知らせる言葉でした。だから、言語の壁、言葉の壁を越えて世界の人々に、異なる言葉で一つの福音が語られたのです。「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1:8)という約束の実現が、ペンテコステから始まったのです。 教会の誕生は、素晴らしい能力や知識を持った人々が集まって起こったのでも、立派な建物が建ったことをきっかけに起こったのでもありません。聖霊によって教会の言葉が生まれたことから、教会は誕生したのです。聖霊がわたしたち一人一人に臨んでくださっています。わたしたちは御言葉に満たされて、今日もここからイエスさまを証しするために、神さまに遣わされていくのです。しかし、一人ではありません。キリストによって一つとされて、キリストに結びつけられた共同体として、同じ一つの言葉、神の言葉を伝える証人として遣わされるのです