創世記第12章1節~3節 (旧15頁) エフェソの信徒への手紙第1章20節~23節 (新353頁)
エフェソの信徒への手紙のテーマは「教会とは何か」です。ギリシア 語で教会をエクレシアと言います。「呼び集められた者たち」という意味 です。わたしたちはイエスさまによって教会へと呼び集められていま
す。教会とは建物のことではありません。イエス・キリストを信じる者 の集まりです。イエスさまは、「二人または三人がわたしの名によって集 まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ 18:20)とおっしゃい ました。では、クリスチャンが二、三人集まれば教会と言えるのでしょ うか。どれだけ沢山クリスチャンがあつまったところで、キリストを頭 としていなければ、教会ではありません。
「すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、 来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」(1:21)イエ ス・キリストは時代を超え、国を越え、民族を越えてあらゆるものの上 に君臨する王です。それは地上の事、目に見える世界の事だけに留まり ません。見えるものも、見えないものも支配しておられるのです。その
ような究極的な権威を持った方が教会の頭として与えられています。頭 は体の司令塔です。もし、体が頭の指示に従わないで、別のことをする なら体は病んでいます。頭がない体が無いように、体の無い頭もありま せん。しかし、キリストは全てを統べる方です。お一人で完全な方です。 それなのに、教会を、わたしたちを「体」と呼んで必要としてください
ます。体に不要な器官が一つも無いように、キリストはわたしたちを誰 一人かけてはならない存在として愛して下さり、パートナーとして御業 に参与させて下さるのです。キリストを頭とする教会に、信仰者に、神 の偉大な力が働きます。どんな業に用いられるかはキリストがお決めに なります。わたしたちはただ、自分を差し出すだけでよいのです。わた
したちはこの世が教会になるために用いられています。