横浜中田教会 説教要旨 2月11日

聖書 イザヤ書第35章1-10節 フィリピの信徒への手紙第1章27-30節 説教題「キリストの福音にふさわしく」 杉山悠世 牧師

 

<説教要旨>

 「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(27)。パウロは何でこんな事を書いたのでしょう?フイリピの信徒たちは福音にふさわしくない倣慢な生き方や、怠惰で乱れた生活をしていたのでしょうか。いいえ。このパウロの言葉はフイリピの信徒たちに対する厳しい叱責ではなく、むしろ、力づけるための慰めの言葉なのです。そもそも、福音とは「良い知らせ」、グッド・ニュースです。キリストの十字架と復活によって、わたしたち人間が罪の奴隷状態から解放され、神に属する者とされた事が福音です。では、「キリストの福音にふさわしい生活」とはどんな生活なのでしょうか。「生活を送りなさい」には、「都市国家の市民として生きる」という意味があります。3 章20 節には「わたしたちの本国は天にあります」とあります。天とは神さまのご支配が満ちているところです。キリストの福音を信じる者は、神の国に属する者とされています。ですから、パウロは 「神の国の市民として、キリストに救われた者として生きよ」というのです。

 

 続けてパウロは、信仰生活には戦いがあると言います。信仰に招かれたら、平穏無事な毎日が待っているわけではありません。与えられた信仰を守り抜く戦いがあるのです。しかし、一人で戦うのではありません。同じ神の国の市民である教会の人々と共に、「一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて」(27)戦うのです。聖霊によって一致する教会は、一つの体として苦しみや悲しみと共に喜びも分かち合います。わたしたちは心を合わせて互いのために励まし合い、祈り合い、信仰の戦いを戦い抜くのです。自分で何とかするのではなく、神の国の民として、神さまにより頼んで生きるのです。キリストに救われた者として、神さまに愛されている者として生きるのです。御子は復活し、罪に打ち勝ってくださいました。だからもう、わたしたちを脅かす事のできるものなど存在しません。