横浜中田教会 説教要旨 1月28日

聖書 詩編第46編1-12節 フィリピの信徒への手紙 第1章12-19節 説教題 「福音の全身を喜ぶ」 杉山 悠世 牧師

 

<説教要旨>

 パウロは牢獄の中からフイリピの教会へ手紙をしたためています。きっと、パウロが捕らえられ投獄された事を聞いて、信徒たちの中にはパウロの身を案じるとともに、自分たちの身を案じ、「自分たちの教会はこれからどうなってゆくのだろう」と不安を覚える者もいたのでしょう。心配する信徒たちにパウロは諭すように言います。「兄弟たち、わたしの身に起こった事が、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」(1:13)。捕らわれて、パウロの伝道者としての働きにストップがかかったので、もはや彼は福音を伝える事ができないと諦めた事でしょう。けれども、捕らえられた場所でパウロによって、今まで福音が告げ知らされていなかった人々、兵営や囚人たちにまで届けられたのです。パウロ捕縛の出来事が与えた影響は、牢獄内にとどまりませんでした。かえって、福音宣教のために従事している人々に確信を与え、励ましとなったのです。

 

 ある人々は、パウロの働きに嫉妬し、彼が捕らえられている間に手柄を立てようと躍起になってキリストを宣べ伝えました。他方で、別の人々はパウロ投獄の理由が違法行為ではなく、福音の弁明のためである事を知って、福音の前進と受け取りました。彼らは同情心からではなく、パウロと同じ使命に遣わされた同労者として愛を持ってキリストを伝えました。いずれにしても、パウロにとって大切な事はキリストが宣べ伝えられている事、福音が前進している事でした。パウロは自身にとって悲しい出来事、不都合と思える状況下でさえも、そのような出来事を通してもたらされた幸いに目を向け、喜んでいます。なぜなら彼は、自分の力によってではなく、ただ神の御力によって福音が前進している事を目の当たりにしたからです。ただ祈るしかない、そんな者でさえも神さまは福音の前身のために用いられます。福音の前進に用いられていない人などいないのです。