横浜中田教会 説教要旨 1月7日

聖書 詩編 第56編9-14節 マルコによる福音書 第16章1-8節 説教題 「復活の朝」 杉山 悠世 牧師

<説教要旨>

 三人の婦人たちは香料を買うと、朝早くイエスさまのお墓に行きました。考えるよりも先に体が動いたのでしょう。お墓へ向かう途中でふと、「そういえばお墓の前の石はどうやって動かそうか」という話になりました。どう考えても、自分たちにはどうしようもできない課題を見出しながらも、引き返すことなく、お墓を目指して、「どうやって」ではなく、「だれが」墓の石を動かしてくれるだろうかと考えたのです。困難を乗り越えるために、神さまが御手を伸ばしてくださると信じて突き進むならば、復活の主が私たちの心を塞ぐ石をも取りのけてくださいます。

 天使は婦人たちに伝言を託します。「行って、弟子たちとペトロに告げなさい」 と。弟子の中でも特にペトロが、一番はっきりとイエスさまとの関係を否定し、裏切ったことに痛みと悲しんでいる事をご存じだったからでしょう。関係を断ち切ったペトロに新しい関係を築くため、イエスさま自ら呼びかけてくださるのです。復活して、新しく出会ってくださるのです。それも特別な場所ではなく、私たちの生活の場所で出会ってくださるのです。放蕩息子の帰りを待つ父のように。天使との出会い、そして復活という理解しがたい神さまの御業に、はじめ、婦人たちは怯えるだけで、天使から与えられた任務を実行するどころか、誰にも何も言うことができませんでした。けれども、やがてその時は訪れ、彼女たちが最初の復活の証人とされます。そして、弟子たちは復活の主の待っておられるガリラヤを目指すのです。  

 私たちにとってのガリラヤは、教会であると言えます。イエスさまは私たちを待っていてくださいます。もう、イエスさまに出会う事はかなわないと諦め、イエスさまとの間が大きな石で妨げられ断念している私たちに、復活の主が出会ってくださいます。そして、イエスさまから新しい関係を築いてくださり、新しく生きる道へと導いてくださいます。私たちはここから、復活の主の証し人として遣わされて行くのです